小4のときだったと思います。通信簿のコメント欄に『特定のお友達とは仲良く遊んでいるが、他の子とは遊ばない。みんなと仲良く遊べるようになるといいですね』というような事を担任の女性教諭に書かれました。
誰でも、みんなと仲良くできない自分はダメなんだとたぶんその時に思い込んだような気がします。
担任の先生はもちろん悪気はなく、良かれと思って書かれただけなんだろうけども。
要らん思い込みをして、勝手にずい分苦しんだものだなぁと苦笑。
好きな先生だったから先生に気に入られたくて、自分をダメだと思って、いい子になれない自分を責めることで片づけていたのかもしれません。
周りの人って自分の※準拠枠で無責任にも色々言ってくれちゃって、それが無意識に入って影響してるって自分でもわからないから困ります。
色々な関り方をする子、色々な自己表現があるってわかってもらえたら・・・
自己表現が苦手な子の自己表現をうながすような関り方もきっとあると思うんです。
足りないところを補おうとする視点ではなく、その子をありのままに見て、その子の在り方を観察して、良いところを探して書いてくれる教師だったら、もう少し違った人生になっていたのかなぁと思います。
今日、友達と会ってほぼ5時間しゃべりっぱなしで。ママ友とは話せないような面白い話して。素の自分でいて楽しくて、興味深い話をして、話題がつきなくて濃くて幸せな時間でした。
自分の深いところを共有できる人がいてほんとに幸せなことと思います。
友人に感謝。そして恵まれている自分にも感謝
※準拠枠とは?
人が物事を判断、認識するのに使っている基準のようなもの。
人は誰しも自分の経験や価値観で判断したり、ある種のフィルターをかけて物事を見ます。
カウンセリングではこの準拠枠が働いていることに気づきながら、
それを超えたところでクライアントの話を聴けるかどうかがとても重要なのです。
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